半導体産業の歩み:トランジスタから分業の時代まで

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このページの目次
  1. 今の業界は、歴史の積み重ね
  2. トランジスタの発明
  3. 日本の半導体産業の始まり
  4. ICの発明
  5. DRAMでの日本の躍進
  6. 事業の組み替えの時代
  7. 受託製造と分業の広がり
  8. 歴史から、今を見る
  9. このページのまとめ
  10. 関係する工程と用語
  11. 次に読む
  12. 理解度チェック
  13. 出典

トランジスタの発明から、日本の半導体産業の始まり、ICの発明、DRAMでの日本の躍進、事業の再編と受託製造の広がりまでを、日本半導体歴史館の資料をもとにたどる。今の業界の構造が、どのような流れの中でできてきたのかを扱う。

半導体産業の歩み(年表)

  1. 1947トランジスタの発明1953日本で生産が始まる1958ICの発明1961国産で初めてのIC発明と、日本の始まりトランジスタとICが生まれ、日本でも生産が始まる
  2. 1981DRAMで日本が首位2003日本の会社の事業の統合2008受託製造の会社の成長躍進と、分業の時代DRAMでの躍進のあと、事業の組み替えと分業が進む
図:本文で取り上げた主な出来事を、年の順に並べた年表。年と出来事は、日本半導体歴史館の資料による。本サイトで作成

今の業界は、歴史の積み重ね

分野「業界の構造と企業」の前のページまでで、半導体が設計、製造、組み立ての役割に分かれて作られていること、需要に波があることを学んだ。こうした今の業界の形は、ある日突然できたものではない。技術の発明、国どうしの競争、事業の組み替えが積み重なって、少しずつできてきた。

このページでは、半導体産業の大きな流れを、日本との関わりを中心にたどる。年や数値は、日本半導体歴史館の資料による。

トランジスタの発明

半導体産業の出発点は、トランジスタの発明である。1947年に、米国のAT&Tのベル研究所で、トランジスタが発明された[1]。それまで電気の信号を大きくしたり切り替えたりする部品には真空管が使われていたが、トランジスタは、より小さく、少ない電力で同じ働きをする部品として広がっていった。

ベル研究所は、その後、トランジスタの特許と製造の技術を、ほかの会社にも使えるように公開した[1]。これが、多くの会社が半導体の製造に乗り出すきっかけになった。

日本の半導体産業の始まり

日本でも、早くから半導体の製造が始まった。1953年に、東京通信工業(のちのソニー)がトランジスタの技術の使用の契約を結び、ゲルマニウムのトランジスタの生産を始めた[1][2]。同じころ、ほかの日本の電機の会社も、米国の会社から技術を取り入れた[2]。

1955年には、東京通信工業がトランジスタを使ったラジオを発売した[2]。トランジスタは、小さく持ち運べるラジオという新しい製品を生み、日本の電機産業の成長を支えた。1958年には、ゲルマニウムのトランジスタの生産量で、日本が世界一になった[1]。

ICの発明

次の大きな転換点は、IC(集積回路)の発明である。ICは、複数のトランジスタと配線を、一つの半導体の上にまとめて作り込んだものである。分野「デバイス」や「論理回路」で学んだチップは、このICが発展したものである。

1958年に、米国で、ゲルマニウムを使ったICが発明された[3]。ほぼ同じころ、シリコンの表面に平らに回路を作り込む方式のICも、別の会社で開発された[3]。この平らに作り込む方式は、今のチップの作り方のもとになっている。

日本では、1961年に、国の研究所が国産で初めてのICを発表した[3]。その後、日本の電機の会社も、それぞれICの生産を始めた[3]。

DRAMでの日本の躍進

1980年ごろの世界の半導体市場は、約3.5兆円の規模だった[4]。1970年代の日本は、電卓や時計に使う回路や、メモリの開発などで力をつけていた[4]。

1980年代に入ると、日本の会社は、分野「デバイス」で学んだDRAMで、大きく存在感を高めた。1981年には、64KビットのDRAMで、日本の半導体が世界のシェアの首位を確保した[5]。日本のDRAMは、不良の少なさなどの品質の高さが評価され、米国への輸出が大きく伸びた[5]。

日本の半導体の存在感が高まると、日米の間で、半導体の貿易をめぐる協議が行われるようになった。その結果、日米の間で半導体の協定が結ばれ、日本の市場へのアクセスや、安すぎる価格での販売の防止などが取り決められた[6]。

事業の組み替えの時代

その後、DRAMの市場では、韓国などの会社が力を伸ばし、競争の構図が変わっていった。日本の会社は、事業の組み替えを進めることになる。

その後、日本の電機の会社が、半導体の部門を本体から切り離したり、ほかの会社の半導体の部門と統合したりする動きが本格化した[7]。2002年にNECが半導体の部門を分社化し、2003年には日立製作所と三菱電機の半導体の事業を合わせたルネサステクノロジが設立された[7]。2010年には、NECから分かれた半導体の会社とルネサステクノロジが合併し、ルネサスエレクトロニクスが発足した[7]。

受託製造と分業の広がり

同じころ、世界の業界の形も大きく変わっていった。分野「業界の構造と企業」の最初のページで学んだ、製造を引き受ける受託製造(ファウンドリ)の会社が力を伸ばしたのである。

台湾のTSMCは、受託製造を専門に手がけ、2008年には、受託製造を専門とする会社の売上の合計のうち、約50%を占めるまでになった[8]。受託製造の会社が力をつけたことで、工場を持たずに設計に集中する会社が、自分のチップを作りやすくなった。設計と製造を分ける分業は、こうした流れの中で広がった。

歴史から、今を見る

半導体産業の歴史は、技術の進歩と、国どうしの競争、会社の事業の組み替えが、互いに影響し合ってきた歴史である。発明された技術は、すぐに世界に広がり、作る国や会社の顔ぶれは、時代とともに入れ替わってきた。

今の業界の役割分担や、国が半導体の生産を支える動きも、この流れの延長にある。このサイトの企業分析やニュースを読むときにも、こうした歴史の流れを手がかりにしてほしい。

このページのまとめ

1947年にトランジスタが発明され、特許と製造の技術の公開をきっかけに、多くの会社が半導体の製造に乗り出した。日本では1953年に生産が始まり、1958年にはゲルマニウムのトランジスタの生産量で世界一になった。1958年にICが発明され、日本でも1961年に国産で初めてのICが発表された。1981年には、日本が64KビットのDRAMで世界のシェアの首位を確保した。その後、日本の会社の事業の組み替えが進み、受託製造の会社の成長とともに、設計と製造の分業が広がった。

  • 用語:ファブレス:自社で半導体の製造工場を持たず、設計と販売に特化して製造を外部に委託する事業形態。
  • 用語:ファウンドリ:他社が設計した半導体を、受託して製造する事業者、またはその事業形態。

理解度チェック

本文の内容から答えられる問いです。答えを選ぶと、正しいかどうかと解説が出ます。

問1

トランジスタが発明された場所として、本文で説明したものはどれか。

答えと解説を見る

答え:1. 米国のAT&Tのベル研究所

トランジスタは、1947年に米国のAT&Tのベル研究所で発明された。その後、特許と製造の技術が公開され、多くの会社が半導体の製造に乗り出した。

問2

1980年代の日本の半導体が、特に大きく存在感を高めた製品として、本文で挙げているものはどれか。

答えと解説を見る

答え:1. DRAM

1981年には、64KビットのDRAMで、日本の半導体が世界のシェアの首位を確保した。品質の高さが評価され、米国への輸出も大きく伸びた。

問3

受託製造の会社が力をつけたことで広がった動きとして、正しいものはどれか。

答えと解説を見る

答え:1. 工場を持たずに設計に集中する会社が、自分のチップを作りやすくなり、設計と製造の分業が広がった

製造を引き受ける受託製造の会社が力をつけたことで、工場を持たない設計の会社もチップを作りやすくなり、設計と製造を分ける分業が広がった。

出典

  1. トランジスタの発明と半導体産業の始まり(外部サイト)日本半導体歴史館(半導体産業人協会)確認日:
  2. 日本メーカ、ゲルマニウムトランジスタの生産開始(外部サイト)日本半導体歴史館(半導体産業人協会)確認日:
  3. 米国でICの開発、発明(外部サイト)日本半導体歴史館(半導体産業人協会)確認日:
  4. 世界の半導体市場(外部サイト)日本半導体歴史館(半導体産業人協会)確認日:
  5. 日本の半導体はDRAMでシェア拡大(外部サイト)日本半導体歴史館(半導体産業人協会)確認日:
  6. 日米半導体協議と日米半導体協定(外部サイト)日本半導体歴史館(半導体産業人協会)確認日:
  7. 日本メーカの分社化、合併等の構造改革が本格化(外部サイト)日本半導体歴史館(半導体産業人協会)確認日:
  8. TSMCは創業から21年で世界のファンダリー市場の50%シェア獲得(外部サイト)日本半導体歴史館(半導体産業人協会)確認日: